活動報告

2015年9月10日災害の記録

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2015年9月10日

9月10日災害の記録 3

私の左側にいる若い人たちは、フィリピンの方達です。
石下の浸水地区にアパートを借りていて、そこに両親子供が残っているので、なんと か戻りたい、ということでした。私の服装を見て、相談を持ちかけられました。最初は1人だったのですが、そのうちに仲間が集まってきて、こんな状態になりました。
そこで、災害本部に連絡をとったのですが、思うようにつながりませんでした。仕方 がないので、この橋の反対側にいる地区の消防の皆さんのところにつれて行き、対応 をお願いしました。先の東北大震災の時もそうですが、母国を離れたところで災害に あえば、それは心細いことだと思います。
「災害時の外国人対応」について、良く考えておかなければならない、と思います

10日のこの日は、最後に小貝川を見に行きました。
幸い、小貝川は、30年前のようなことにはならなかったのですが、それでも、写真の様な有様でした。

近所の人たちが堤防の上で心配そうに川面を見ていました。「今日は、数時間おきごとに水位を見に来ている」とおっしゃっていました。
みんな心配なのです。

11日は、その後の調査に、ほぼ、昨日と同じルートで調査に行きました。
昨日とは一転、晴天の一日になりました。

ビアスパークを鳥瞰した写真がありましたね。右側に鬼怒川が湾曲して大きく写っているやつです。その写真の右側の堤防付近に並ぶ建物の一群がありますが、全て水に浸かっています。そこがこの食肉関連会社なのですが、約豚1500頭分の被害が出ました。私の姿を見つけると、「どうすれば良いか、相談しに行こうと思っていたところだ」と、その窮状をお話して下さいました。

ここは、越水による湖と化しておりましたが、
一夜が開け、だいぶ、水が引きました。とは言っても、
鬼怒川よりも低い土地なので、そうは簡単に元には戻りません。

この写真は、前の「越水により湖と化した」時のものです。越水は、泥水状態でやってきますので、水が引いた後には汚泥が残され、この除去作業が大変なのです。

ビアスパークの少し北側のお宅です。
先の「汚泥が残る」というのは、この状態です。
しかも、この状態で乾燥すると、もう、カチカチに固まって、その除去には、いっそうの労力が入ることになります。

ここは、一面、田んぼなのです。
でも、道路も田んぼも一面の冠水。
これでも昨日よりは、いくらか水が引いています。
昨日は、とても、こんなところに立つことはできませんでした。
この桐が瀬地区も「平地」です。
北台川沿いですが、溢れた水を除くには、汲み出す以外に方法はありません。
もう、何度も、こういう被害にあっている地区なのです。」
私にすれば、「またやられた」という残念があります。

災害発生から少し日にちが経ってから、その後の様子を見て回っています。
これは農協に集積された米の被害状況です。水浸しになった米は、廃棄処分のために大きな袋に入れられて積み上げられてゆきます。

これが全部、捨てられます。
下妻地区だけで、それも水稲だけで14億円近い損害になりました。

台無しになった米の山

猫の手も借りたい『後始末』。
私も及ばずながらお手伝いをしました。

ちょうど刈入れ時期に起きたこの災害。
どんな形であれ、今年の稲はほぼ全滅。農家によっては、収入が絶たれた、と言うことなのです。各地区の農家を見て回っても、慰めようのない状況でした。

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