2014年3月の活動index
平成25年度 第67回下妻市立下妻小学校卒業式
毎年、学校の入学式、卒業式には、お招きを受けてご挨拶をさせていただいて参りましたが、今年もその季節になって、この日は、下妻小学校の卒業式に出席しました。
今年の卒業生は、百二十数人でしたが、毎回、卒業式に臨む子供たちの姿を拝見していると、教育のすばらしさを見せつけられているような気持ちになります。
ちょうど六年前、この子達の入学式にも私は出席し、祝辞として、いろいろお話をしているのですが、今、目の当たりにしているこの子達にはその頃の面影は、全くありません。静かに、落ち着いて、礼儀正しく卒業証書を受ける姿を見ると、ここまで育んで来た学校の先生方、親御さん方に、心からの敬意を表したくなります。
この子達にも、この六年間には、いろいろなことがあって、自らを成長させる経験をしてきたと思います。三年前には、あの東北大震災。あの3月11日の金曜日の午後は、おそらく教室で体験したことでしょうから、けっして忘れることの出来ない小学校での記憶となっているでしょうし、その後に続いた断水・停電は、環境・エネルギー問題について、家族と一緒に考える良い機会となったのではないでしょうか。
もちろん、良い思い出も沢山あるでしょう。小学校で経験した全ては、将来への夢を実現するための基礎になるはずです。来月、今度は、中学校に入学しますが、そこでは、これまでの六年間できずいてきた基礎に、さらに磨きをかける三年間としていただきたいと思います。
今度の六年間には、二度目の東京オリンピックがあります。その前年には、茨城県で国民体育大会が開催されます。この子達にとっては、高校生の後半になると思いますが、茨城国体や東京オリンピックに参加できるように頑張っていただきたいと思います。
「将来への夢と実現」と申し上げましたが、やはり、夢は、形にしないといけないと思います。実は、私にも「夢」があります。この下妻に東京から鉄道を引いて、人々や物の交流を大きくして、この地域をいまよりも発展させたい、という夢です。数年前から、そのための運動をしているのですが、うまくことが進んでも三十年から四十年先の実現になります。でも、「行動を起こさなければ」夢は夢で終わります。将来に向かって、今のうちから努力して、この子供たちにも、是非、夢を実現していただきたいと思います。
こういうお話をして、祝辞とさせていただきました。
卒業式の後で、校門の近くで巣立ってゆく子供たちを見送りました。
少し大きすぎる学生服や、真新しい靴、小さな花束を持った子供たちを見送りながら、この子達の将来を思い、「夢は、ぜひとも実現しなければならない」と思いました。
各地区の青年部懇談会(5日:上妻地区、6日:下妻地区、10日:総上地区、11日:高道祖地区、13日:騰波ノ江地区、14日:大宝地区、17日:豊加美地区)
三月に入ってからは、各地区の「青年部」との懇談会を、ほぼ毎日と言えるほど頻繁に開催しました。
年が明けてから二月までで、「県政報告会」の各地開催をほぼ終了しましたので、今月からは、「青年部」の皆さんにお集まりいただいて、県政のご報告や、若い方々のご意見・ご要望をお伺いすることにしたのです。
先月までの県政報告会にお集まりいただいたのは、これまで私を支えて下さった方々でした。もちろん、これからもご支援をお願いするのですが、私の「県政ご報告」は、何度もお聞き下さった方々でした。一方、今回、「青年部」としてお集まりいただいたのは、これからの下妻地区を背負って下さる若い方々で、これまで、私が、あまりお話しする機会を持てなかった方々です。
この「青年部」に限らず、こうした若い方々は、「政治」を、あまり身近に感じていない傾向があると思います。この傾向は、だんだん大きくなっているようで、昭和42年からの各衆議院選挙「年代別投票率の推移」を調べると、20代、30代、40代の順に投票率が低くなっていて、それも、減少傾向が続いているのですが、これも、若い人の「政治への関心度」を如実に表わしているのではないか、と思います。
実際、選挙に行っても行かなくても、政治に関心があってもなくても、特に生活に困ることは、ほとんどない、と思います。政治への感心のあるなしにかかわらず、水道から水は出ますし、傷んだ道路は修理され、食料確保に困ることもなく、企業は誘致され、保育園、小中学校で教育を受けられます。
三年前の東北大震災の様な災害時には、消防、自衛隊などが有機的に活動して、復旧・復興に進められました。震災と言えば、あの時、世界を驚かせた「沈着・冷静」「略奪に走らない」「助け合いをする」あの時の日本人の行動は、日本人が長い間、受けてきた教育のなせる業だったと思いますが、こうしたことも、一見、政治とは無関係、と考えられていると思います。
あるいは、「無関心でいられる」すばらしい政治が行われている、と言えるのかも知りませんが、裏返すと、「空気の様なもの」であり、「政治は、生活そのもの」だ、「政治無くしての生活はありえない」と言えると思います。
「生活そのもの」なのですから、特にこれからを背負って立つ「青年部」のような方々には、県政の現在とこれからへの展望、施策については、良く知っておいていただき、なぜ、私が、二十年近くも県議会議員をしていて、何を考え、何をしようとしているのかを、是非、お話させていただきたいのです。
二月までの県政報告会にご参加いただいた方々は、私が何者であるかは、良くご存知の方ばかりでしたので、「県政報告会」の様な場合、後援会長、地区代表の挨拶などににつづいて、さっそく「県政報告」を一時間程度、私がお話しするのですが、「青年部」の場合は、少し違います。
「青年部懇談会」には、初参加の方も多いのです。
そうでなくても、これまであまり「政治」を身近に感じてこられなかった方々ですから、順々とご説明をしなければなりません。県会議員って、何をする人なんだろう。県議会って、何をするところなんだろう。県議会議長って、なんだろう。などなどについて、わかりやすくご説明をさせていただきました。
例えば、議会の役割について、私はよく「二元代表制」になっていて、とお話をするのですが、「二元代表制」とは、どういう意味があるのか、そこからご説明させていただきました。そうすると、「二元代表制」の下では、「首長(県の場合は、知事、ですね)」に対して、「議会」や「議長」がどんな意味を持つかも説明しやすいのです。
そこから、皆さんに選挙で選んでいただいた「県議会議員」が、何をしているか、何をするべき役割の人なのか、を説明できますし、すると、選挙で議員を選ぶことの重要性を理解していただけると思っています。つまり、「自分の生活に密接に係る仕事を付託できる人」であることをご理解いただけると考えております。
こうしたお話に続いて、いつもの「県政報告」を行います。
「政治は、生活そのもの」の観点から、県政と県西地区の現状についてお話をします。これまでの18年間の議員生活を通して、こんなことをしてきた、その結果が、今、こうなって現れている、と言うお話をします。
農業問題については、「圃場整備」についての総合的な事業展開を、「道の駅しもつま」「東部中学校」建設と関連付けてお話をしました。交通インフラ整備については、294号線の複線化、圏央道の28年度までの県内全線開通、そのあとの国道125号線の将来計画についてお話をしました。茨城空港の利便性のお話もしました。そして、茨城県でも問題にしている「人口減少」への対策です。東京直結鉄道の誘致、第二の市町村合併により周辺中核都市との格差縮小を考えていることをお話をしました。
「政治は、生活そのものだ」を説明させていただいた後ですから、参加者の若い皆さんも、それまで以上に真剣なまなざしで聴いて下さったようです。
お話の中で、将来の展望と対策については、鉄道誘致運動については、実現しても三十年以上も後のお話ですから、その頃には、もう、私はいないかもしれない。でも、今、この運動を展開して、ここにお集まりの若い方々に引き継いでいただかなければ、なにごとも成就しない。私は、今からしばらくの間、先頭に立って頑張るので、ぜひ、皆さんのご支援をお願いしたい、そして、私の後を引き継いで、立派な県西地区を作っていただきたい、とお願いしました。
こうして私の「長いお話」が終わると、「懇親会」に移ります。
「長いお話」は、昨年までとの比較なのですが、今年は県議会議長に就任したこともありまして、皆さんとお話しする時間が取れなくなってしまったことにも、その原因があります。出来る時にしてしまおう、と言う気持ちと、この県西地区以外のお話もするからなのですが、約1時間の「報告会」になっています。そこに上述の「青年部」対策がありますので、なおさらです。
しかし、その分、「政治」と「実生活」との関連性を理解していただけたように思います。ですから、「懇親会」では、突っ込んだお話をうかがうことができます。
「政治への無関心」とも関係があると思うのですが、「行政への不信感」と言うものもあります。行政側からの一方的とも思われる施策に対しては、「お上のおっしゃることだから」的な考え方が今でもあって、なにも言わない、言えない市民が多いと思います。この人たちの「困りごと」について、私は、こうした集まりを通して丁寧にお話を伺い、できるだけ、応援をして差し上げる、それも私の役割だと考えております。
いろいろ書きましたが、いずれにしても、「青年部」の集まりを通して、私の考え方を若い方々にもお伝えできたことに満足し、お集まりいただきました皆様には、心から感謝を申し上げたいと思います。